2015年 第4回 Derby展
展示記録
2015年 オーディエンス賞 受賞者
 平面の部 草津ローラン 
 立体の部 安見友太 次点の 新井夏菜 2名

平面展

9/4(金) - 9/13(日) 9/5(土) 休廊
平面部門作品紹介
出展作家
いのうえあい・入木りょう・潤田茉莉・神山歩・草津ローラン
椎名遥・島田一葉・末岡由佳理・當銘弓佳・徳永博子・中根佑子
沼野伸子・平野えり・松尾彩加・山下祥世

立体展

9/18(金) - 9/27(日) 9/19(土) 休廊
立体部門作品紹介

出展作者
新井夏菜・岡部賢亮・川島史也・木村俊也・鈴木歩・田村麻未
内藤早良・長田絵理香・長谷川真弘・早川信志・平井孝典・堀太一
松田隆志+ちひろそら・迎星二・安見友太
〈意味〉と〈存在〉−「Derby展 2015」を巡って
松永康(アートコーディネーター)

 今回、「Derby展 2015」の進行を行うよう依頼を受けたとき、ギャラリーKINGYOの扇谷さんは同展の狙いについて次のようなコメントを送ってくれた。

 こちらは、貸しギャラリーを主体として運営しています。
 貸しギャラリーの利点は何かと考えた時、誰にもおもねる事無く、売る為の配慮もせず、自分の存在を世に問う事が出来る事だと思います。
 この展示期間は、様々な場所で制作する作家との出会いの中で自己の制作を考える、勉強期間となるよう方向づけしたいと考えます。

これを読みながら私は、次の2つの言葉に目を着けた。
・自分の存在を世に問う
・制作の意味を考える
 そしてここにある〈意味〉と〈存在〉という視点は、2回行われるアーティスト・トークのそれぞれのテーマになると感じた。

 「Derby展 2015」に出品される平面作品の画像を通覧しながら私は、独自の方法論から始めて他の人にも伝わるような作品にしていくタイプと、一般的なモチーフを手掛かりとしながらそこに独自な解釈を求めていくタイプがあることに気づいた。固有性から出発して共有性へと至るのか、それとも共有性から出発して固有性へと至るのかの違いである。
 美術の世界では、片や普遍性がだいじだと言われ、また他方では独自性がだいじだと言われる。普遍性とはすべての人に共通したもののことで、独自性とは自分にしかないもののことだ。これもまた共有性と固有性の違いである。そうするとこの2つの価値観は、まったく逆の方向を向いているのだろうか。私は平面部門の出品作品について考えるに当たり、この「共有と固有」という問題に対して出品者たちがどのように向き合っているかを手掛かりとすることにした。
 一方の立体部門であるが、出品作品の画像を見ながら私は、作品の中に一人称的作品、二人称的作品、三人称的作品があることを感じた。「人称」というのは、発言者との関係によって変化する名指しの対象の位置づけである。
 発言者自身が名指しの対象となる場合、「私は」「自分は」といったように一人称になる。また発言者と対象との間に直接的な関係がある場合は、「あなた」「君」といった二人称となる。さらに発言者と直接の関係がないものを名指しするときは、「あいつ」「この人」といったように三人称になる。このように、呼び方によって変化する対象の位相の違いを、美術作品の在りようにも当てはめられるのではないかというわけだ。
 これを読んでも何を言っているのかほとんどわからないと思うが、とにかく私はこの「Derby展 2015」を通して、今まで考えたことのなかったことにかなり頭をめぐらされた。作品を熟視するごとに、新たな言葉が次々と湧いてくる。それほどどの作品も、目指す方向性が極めて明確に現れていた。いったい何がこの展覧会をそうさせていたのか。
 同展は原則として、美術大学を卒業して4年目に当たる者が出品の対象となる。この時期は作品を公表することの意味が少しずつわかってきて、美術の世界にこれからどのように臨むのかという期待と不安の入り混じる時期である。ある者は画廊での個展を続け、またある者は団体展やコンクール展を目指すのだろう。作者の中のそうした心の揺れが、それを見る者に対しても改めて今の自分の状況を考えさせる契機となったのではないか。
 一方で出品者にとっては、同じ問題意識を抱えた人たちがこうして一堂に作品を並べることはあまりない。しかも公募展ということで、これまで見たことのない多くの作品と突然、出会わされることになる。同世代の友人どうしで微妙な差異を語り合う余裕など、ここには微塵もないのだ。だからこそすべての出品者が、ここまで堂々と自分自身を出し切る制作ができたに違いない。
 おそらくは以上のような理由で、意見交換の場では私自身もつい、いろいろと勝手なことをしゃべり過ぎた。話を聞かされてしまった人たちにこの場を借りてお詫び申し上げるとともに、もしそのやり取りの中で出品者の方の中でも何らかの気づきがあったとしたら、私にとってそれ以上嬉しいことはない。